日本近代史と戦争を研究する
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歴史認識と史料的裏付け
安田常雄氏は、
近年の人々の歴史認識をめぐる状況を
次のように述べています。

「多くの人の歴史知識の中に、データや事実をベースにして、ある特定の固有の時代の歴史像を定型的に描き出していくのではなく、現在の自分から見て快適な要素を歴史の中に探していくという形がとられているのではないか。だから時代を超えるわけです。どの時代でもかまわない。自分が快く思われるものが歴史の貯蔵庫の中から拾い出されてきて、それが一種のイメージ連鎖のように並べられていくという状況が、とくに八〇年代、九〇年代に進展していっていると思います」
国立歴史民俗博物館編『歴史展示のメッセージ』アム・プロモーション、2004年、85頁)


「自分にとって快い」ことを「国家にとって快い」ことに重ね合わせて考える人も多いですね。

彼らは何を「国家にとって快い」と考えるのか。それは国力の誇示であり、威圧的な軍事力行使に対する憧憬ではないでしょうか。現在の軍事力行使の肯定が、過去の戦争の肯定へと繋がっていると思います。

しかし「国家にとって快い」かどうかの視点では、ものごとの本質を見誤るのではないか。ある事実をどう評価するのかということだけではなく、事実の認定それ自体についても、限界を生じさせるのではないでしょうか。

学問にとっては、“普遍”の追求が宿命。
議論を国家利益の枠組みに留めることはできません。


またインターネットの発達は、「現在の自分から見て快適」な、断片的な情報を「イメージ連鎖」のように並べることをますます容易にしていると思います。

コピー&ペーストで、情報を精査することなく集めてくる。
では集めたその情報は史料的にしっかりと裏付けられたものなのでしょうか。

重要なのは、歴史に関する議論である以上、再検証可能なように史料的根拠が示されているかどうかです。

情報は、鵜呑みにしない。裏付けをとれるかチェックすることが大切だと思います。
オンライン上で見られる一次史料もたくさんあります。

アジア歴史資料センター
国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
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