日本近代史と戦争を研究する
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ある会社員の出征
住友本社『戦没者書簡集』第一輯(1939年)より。

1937年9月、応召された
住友アルミニウム製錬株式会社のある会社員は、
出動前夜、社に宛て次のように記しています。
「武器トシテハ参八式歩兵銃ノ他竹槍ノ用意アリ、匪賊ヤ便衣隊相手ニ颯爽ト竹槍ヲシゴクコトモアリナン、其ノ勇姿御想像アリタシ。
 終ニ臨ミ皆々様ノ御健康ト社運ノ彌栄ンコトヲ祈念仕候」


この会社員は、輜重兵であったが、
竹槍は、万一の際、役に立ったのだろうか。


所属部隊は朝鮮を通過します。
9月12日の手紙。

「○○ノ街ハ全ク日本化シテ一寸朝鮮ダト云フ感ジハシマセン、十九日ハ丁度朝鮮ノオ盆ダ相デ小サイ子供ガハデヤカナ色彩ノ朝鮮服デ美々シク町ヲ歩イテヰルノガ目ニ着クダケデス」


同月23日には、奉天に着いています。

「奉天ノ街ハ人力車ト馬車ガ実ニ多イデス。街路樹モ実ニ豊富デスガ街ノ感ジハ何トナク穢イデス」

「朝鮮デハ朝鮮人老若男女ノ熱烈ナ歓送迎振リニ全ク感激致シマシタ、奉天デハ日本人モ随分居ルノニ万歳一ツ聞キマセン、満鮮ノ相異ヲヨク表ハシテヰルト思ヒマス」


10月定縣にて。

「車馬ヲヒツパツテ支那ノ田舎道ヲ歩クノモ余リ楽デハアリマセン、第一塵ガ大変デス。村村ニハ華北乃華北人之華北、謀華北之永久和平福祉是因為千載一遇之機会等ノビラガ至ル処ハリツケテアリマス。支那人ガ日章旗ヲ立テテ湯茶ノ接待ヲシテクレマス」


38年1月29日、邯鄲にて。

「京都ニ居タ時ヨリ大分肥エタト戦友ガ申シマス、事実一寸肥エタ様デス。足ガ象ノ足ノ様ニ見エルノハ何シロ下ニ冬ノズボン下ヲ三枚(其ノ中ノ一枚ハ御恵送ノモノ)モ穿イテヰルノデスカラ蓋シ已ムヲ得マセン。特ニ釈明シテオキマス。呵々」

「写真ノ防寒帽ハ仲々暖クテ宜敷イ。コノ事変デ日本ノ兎界ハ大恐慌ヲ来タシタ事デセウ」


2月5日、食堂のおばさん(?)に宛てて。

「僕モオ蔭デ相変ラズ元気デスカラ御安心下サイ。貴女モ御元気デ何ヨリデスネ。朝晩遠イ所ヲ自転車ニランプヲツケテ通フノハ随分寒イコトデセウ。アノ寒サハ戦地ノ寒サニ劣ラナイデセウ」

「我々ノ方ハ待機中ハ朝七時起床デス、ソノ点ハ会社ヨリ楽デス。待機モ随分永ク続キマシタガ愈々近日出動ノコトヽナリマシタ。当分ノ間ハ朝顔ヲ洗フコトモ出来ナケレバ夜モ寝レナイ夜ガ続キマス」


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