日本近代史と戦争を研究する
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高橋哲哉『靖国問題』第二章
第二章 歴史認識の問題―戦争責任の向うへ

第一章では、靖国神社が、
戦死の悲しみを共有する「追悼」施設ではなく、
戦死を喜びとし、模範とする「顕彰」施設である
ということが論じられました。
では、靖国のシステムから逃れるため、
戦死を喜ぶのではなく、悲しみ、「追悼」しさえすれば、
それでいいかというと、問題はそれだけではすみません。

著者は、戦争そのもの性格を問うこと、
すなわち「歴史認識」の問題があると言います。

日本国外には日本の戦争によって生じた膨大な被害者がおり、
これらの被害者との関係を問うことなく、
自国の戦死者だけを「追悼」することは、
他者からの批判に耐えられず、正当性を失うと言うのです。


A級戦犯合祀
この「歴史認識」に関係してくるのが、
A級戦犯合祀問題です。

興味深いのは、「中国政府は(韓国政府も)『A級戦犯』合祀自体を問題にしているのではない」(70頁)という著者の分析です。

なるほど、靖国神社そのものは問題にされなかった。
またA級戦犯合祀自体も問題にされなかった。
A級戦犯が合祀されたところに、
首相が公然と参拝するという政治行為こそが問題にされています。

また、中国は靖国参拝を批判することにより戦争責任を徹底追及しているのではない。むしろ、問題をA級戦犯合祀に絞り込むことによって、政治決着を図ろうとしているのだという分析も興味深いです。

B・C級戦犯や戦犯にならなかった日中戦争を指導した将校、
そして実際に被害を負わせた一般の兵士も問題にされていません。
徹底追及する気なら、これらを問題にしないのはおかしい、というのは一理あります。


A級戦犯分祀と「歴史認識」
そのような中国側の譲歩に対応する合理的な方法は、
A級戦犯分祀ということになります。

著者は、靖国神社は古来神道の伝統ではなく、
「自分たちで作ったものを自分たちで修正することが不可能であるはずはない」(77頁)として、分祀は不可能ではないとしています。

ただ著者はA級戦犯分祀が、「歴史認識」の深化を妨げるおそれがあることを強調します。
すなわち、A級戦犯をスケープゴートにし、天皇を免責、一般国民の責任を不問にした東京裁判の構図に瓜二つである、と。


植民地主義の歴史
さらに著者が「歴史認識」の問題で重視するのが、
植民地主義の歴史と靖国の関係です。
この点が本章で最も重要なポイントです。

靖国神社は、植民地獲得と抵抗運動弾圧のための
日本の戦争すべてを、正義の戦争として、
そこで死亡した者を「英霊」として、顕彰しています。

アジア太平洋戦争における戦死者が護ろうとしたものも
それまでの戦争で構築されてきた「植民地帝国」であり、
それ自体が「アジア侵略の産物」にほかならないわけです。

旧植民地出身者の合祀も問題であるとされます。
植民地支配の加害者と被害者が同列に祀られているからです。

台湾・朝鮮にいる遺族にとっては、非常に「屈辱的」なことであり、
靖国神社の「内地人と同じように戦争に協力させてくれと、日本人として戦いに参加してもらった」という主張は、「植民地支配者が被支配者に対して持つ独善と傲慢以外のなにものでもない」(96頁)とされています。



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