日本近代史と戦争を研究する
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高橋哲哉『靖国問題』第一章
第一章 感情の問題―追悼と顕彰のあいだ

第一章では、2002年大阪地裁に陳述書を提出した「靖国の妻」の、
「たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれだ」すというような、激しい遺族感情がどのようにして形成されたのかを考察しています。
なぜ家族が戦死しなければならなかったのか。
靖国神社は、遺族に対して家族の死を納得させる意味づけを与える機能をもっていました。

それは「お国のための名誉の戦死」、
「陛下に使ってもらえる子を持たしていただいた」
という意味づけです。
この意味づけによって、遺族の感情は悲しみから喜びへと転化していきます。

国家はどうしてそのような意味づけを提供したのでしょうか。
「戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになる」(44頁)という冷徹な計算からです。
そうして国家は人々を次の戦争に動員するわけです。

すなわち靖国神社は、
戦死の悲しみを共有する「追悼」施設ではなく、
戦死を喜びとし、模範とする「顕彰」施設であるというのが本章の結論です。

興味深いのは、著者が靖国信仰から逃れる方法を示していることです。
それは、「悲しいのに嬉しいと言わないこと」、
「悲しさやむなしさやわりきれなさを埋めるために、国家の物語、国家の意味づけを決して受け入れないこと」(51頁)。

このような靖国信仰のシステムが
整備され始めるのは日清戦後でした。
では日清戦争時の人々の死生観、兵士の戦いぶりはどのようなものだったのでしょうか。
日清戦争への関心が湧いてきます。



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