日本近代史と戦争を研究する
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戦争のやり方
1941年11月3日、参謀総長と軍令部総長が
天皇に上奏した初期作戦計画は、
次のようであった。
(歴史科学協議会『史料日本近現代史2』三省堂、1985、266-278頁)
まず陸軍について。


「南方作戦ノ目的ハ東亜ニ於ケル米国、英国及蘭国ノ主要ナル根拠ヲ覆滅シ南方ノ要域ヲ占領確保スルニ在リ」
「占領スヘキ範域ハ比律賓、瓦無島、香港、英領馬来、緬甸、『ビスマルク』諸島、爪哇、『スマトラ』、『ボルネオ』、『セレベス』、『チモール』島等トス」

「支那ニ対シテハ帝国海軍ト協同シ概ネ現在ノ態勢ヲ保持スルト共ニ支那ニ於ケル米英等敵側諸勢力ヲ掃滅シテ政謀略ト相俟チ対敵圧迫ニ努メ蒋政権ノ屈服ヲ期スルニ在リ」

「北方ニ於テ米露カ提携シ或ハ露軍単独ニテ我ニ挑戦シ来ル場合ニ於テハ機ヲ失セス支那及内地方面ヨリ所要ノ兵団ヲ転用シ速ニ極東露領ノ敵航空勢力ヲ撃破スルト共ニ爾後ノ攻撃ヲ準備シ次テ成ルヘク速ニ烏蘇里方面ノ敵ヲ撃破シテ同地方ノ要域ヲ占領ス」



作戦の対象となっている中国、和蘭に対して
宣戦布告を行っていないのは、
すでにみた通りである。

資源・工業力で劣る日本が、
英米蘭と戦い、中国と戦い、
さらにロシアにも備えるという
多方面作戦が、本当に可能だと考えていたのだろうか。


つぎに海軍について。
陸海軍協同を除き、海軍単独の作戦は次のようであった。


「開戦劈頭比島及馬来ニ対スル先制空襲ト成ルベク時ヲ同ジク致シマシテ第一航空艦隊司令長官ノ率ヰル航空母艦六隻ヲ基幹トスル機動部隊ヲ以チマシテ布哇在泊中ノ敵主力艦隊ヲ空襲致シマス」

「攻略作戦ガ終リマスレバ第一、第二艦隊ハ成ルベク速ニ内地ニ帰還致致シマシテ補給修理ヲ行ヒ敵艦隊ノ出撃ニ備ヘ 第三艦隊ハ菲律賓及蘭印方面ノ防備ニ 南遣艦隊ハ新嘉坡及『スマトラ』方面ノ防備ニ任ジマス」

「長期戦トナリマスレバ海上交通線ノ保護竝ニ通商破壊戦ガ其ノ主体ヲ為シマスノデ内戦部隊ノ外第三艦隊、南遣艦隊及聯合艦隊ノ水雷部隊ノ大部ヲ以チマシテ内地沿岸、日本海、黄海、東支那海等ノ海上交通路ヲ確保致シマスル外 南方地域ト帝国トノ間ノ海上交通線ノ確保ニ任ジマス」

「又敵ノ企図スル通商破壊戦ヲ困難ナラシメマス為敵ガ潜水艦基地トシテ利用スルコトアルベキ濠州北部、『ニューギニヤ』其ノ他南太平洋諸島ニ在ル敵前進基地ノ奇襲破壊ニ努メマス」



海軍も敵主力艦隊を警戒しつつ、
南方占領作戦を実施し、
日本と南方の海上路を警護するという
八面六臂の活躍が求められた。

このような計画を立てたものの、
軍令部総長永野修身は、
「開戦二ヶ年の間必勝の確信を有するも……将来の長期に亘る戦局につきては予見し得ず」
と言い、
東条首相兼陸相も、
「戦争の短期終結は希望する所にして種々考慮する所あるも名案なし。敵の死命を制する手段なきを遺憾とす」と述べているように、
勝利への自信のなさを表明していたのも事実であった。

(参照:木坂順一郎『昭和の歴史7 太平洋戦争』小学館、1982年、32-33頁)
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