日本近代史と戦争を研究する
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対英米宣戦の詔書
1941年12月8日、午前11時37分、
宣戦の詔書が天皇によって裁可され、
正午にラジオで放送された。

それまで発せられた宣戦の詔書をみると、
詔書の構成は、次のようになっている。

1.序文
2.宣戦相手国の明示・臣下への呼びかけ・国際法の遵守
3.宣戦理由の具体的説明



1に関して、次のようにある。

「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス」
日清、日露、第一次大戦と文面はほぼ同じであるが、
太平洋戦争の際の詔書では、
それまで「大日本帝国皇帝」とされてきた箇所が
「大日本帝国天皇」となっている。


2の宣戦相手国に関しては、

「朕茲に米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス」

とのように、オランダ、中国の重慶政権については
明記されていない。

次に臣下への呼びかけについては、

「朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ尽シ億兆一心国家ノ総力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ」

とある。呼びかけの対象に、
第一次大戦までの「陸海軍」、「百僚有司」だけでなく、
総力戦にふさわしく、「衆庶」が加えられている。

また国際法の遵守については、

「凡ソ国際条規ノ範囲ニ於テ一切ノ手段ヲ尽シ必ス遺算ナカラムコトヲ期セヨ」(第一次大戦)

とのように第一次大戦までみられた同該当箇所が、
抜け落ちてしまっている。


3の宣戦理由に関しては、
長くなるので全文の引用は控えるが、

中国政府は長年、「帝国ノ真意ヲ解セス」、
「東亜ノ平和ヲ撹乱」してきた

国民政府は「更新」したが、「重慶ニ残存スル政権」は、
「米英ノ庇護」を恃み、米英はそれを支援し、
「東亜ノ禍乱ヲ助長」した

さらに米英は「平和的通商」を妨害し、「経済断交」を実行した

日本は、「自存自衛ノ為」、起ち上がるほかはない

という論理になっている。
中国との戦争を処理できないうちに、
戦線が拡大し、状況の困難化を招いていったのがよくわかる。

日中戦争を終結できないフラストレーションが、
対英米宣戦により、戦争終結への期待感、
ある種の爽快感をもたらしたかも知れないが、
実際にはより悪い結末が待っていた。

以上のように宣戦の詔書からも、
太平洋戦争がそれまでの戦争とは
一線を画すものであったことが、窺える。

(参照:木坂順一郎『昭和の歴史7 太平洋戦争』小学館、1982年)


【関連書籍】

森 清勇『外務省の大罪―幻の宣戦布告』かや書房 2001

大杉 一雄『真珠湾への道―開戦・避戦9つの選択肢』講談社 2003
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