日本近代史と戦争を研究する
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
ハル・ノートの内容
日米の決裂を決定づけた「ハル・ノート」は、
アジア歴史資料センターで、オンライン上から
閲覧できる(レファレンスコード:B02030747200、38枚目)。
以下、要点を引用してみる。


第二項 合衆国政府及日本国政府ノ採ルヘキ措置

一、合衆国政府及日本国政府ハ英帝国支那日本国和蘭蘇聯邦泰国及合衆国間多辺的不可侵条約ノ締結ニ努ムヘシ

三、日本国政府ハ支那及印度支那ヨリ一切ノ陸、海、空軍兵力及警察力ヲ撤収スヘシ

四、合衆国政府及日本国政府ハ臨時ニ首都ヲ重慶ニ置ケル中華民国国民政府以外ノ支那ニ於ケル如何ナル政府若クハ政権ヲモ軍事的、経済的ニ支持セサルへシ

九、両国政府ハ其ノ何レカノ一方カ第三国ト締結シオル如何ナル協定モ同国ニ依リ本協定ノ根本目的即チ太平洋地域全般ノ平和確立及保持ニ矛盾スルカ如ク解釈セラレサルヘキコトヲ同意スヘシ
すなわち、日本の軍隊の中国・仏印から一切撤退すること、
重慶政権のみを中国の正統政府と認めること、
三国同盟を否定し、
日・米・英・ソ・中・蘭・タイ間の多辺的不可侵条約締結を
含むもので、
日本がこれまで採ってきた方針を全部否定するものであった。

よく、日本が満州事変以前に戻ることを
要求したものである、と言われる。
しかし、今回「ハル・ノート」を読み直してみて、
驚いたのは、次の条項(第二項の五)であった。


五、両国政府ハ外国租界及居留地内及之ニ関連セル諸権益並ニ一九〇一年ノ団匪事件議定書ニ依ル諸権利ヲモ含ム支那ニ在ル一切ノ治外法権ヲ抛棄スヘシ


義和団事変によって列強各国が得た
軍隊を駐屯させる権利の放棄も含んでいたのだ。
満州事変からさらに義和団事変まで遡ることになる。

なお米国は、1938年にすでに、
京津地方から駐屯軍を撤退させ、
1941年11月には上海駐屯軍を引き揚げていた。


【関連書籍】

須藤眞志『真珠湾<奇襲>論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交』講談社選書メチエ

須藤眞志『ハル・ノートを書いた男―日米開戦外交と「雪」作戦』文春新書


スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://higeta.blog2.fc2.com/tb.php/12-838ebe71
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。