日本近代史と戦争を研究する
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石橋湛山の靖国神社廃止論
石橋湛山は、「靖国神社廃止の議」1945.10.13「社論」
において、靖国神社の廃止を主張した。
(『石橋湛山評論選集』東洋経済新報社、1990、391-392頁)

湛山は、第一に「国際的立場」に関して指摘する。

大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、その武功を讃える事は我が国の国際的立場において許さるべきや否や。…ただに有形的のみではなく、また精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何とこれを見るであろうか。




第二に、同神社が「怨恨の記念物」となることを懸念した。

靖国神社の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊にその大多数は日清、日露両戦役および今回の大東亜戦争の従軍者である。しかるに今、その大東亜戦争は万代に拭う能わざる汚辱の戦争として、国家をほとんど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果もまた全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながらそれらの戦争に身命を捧げた人々に対しても、これを祭ってもはや「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後この神社が存続する場合、後代の我が国民はいかなる感想を抱いて、その前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。もしそうとすれば、これは我が国家の将来のために計りて、断じて歓迎すべき事でない。




第三に、「怨恨の記念物」となることは、
敗因解明の障害となり、
戦没者遺族にとっても望むところではないとする。

言うまでもなく我が国民は、今回の戦争がどうしてかかる悲惨の結果をもたらせるかをあくまで深く掘り下げて検討し、その経験を生かさなければならない。しかしそれにはいつまでも怨みをこの戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、おそらくこの戦争に敗けた真因をも明らかにするを得ず、更生日本を建設することはむずかしい。我々はここで全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現するとともに、ひいてはその功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それにはこの際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令いかに大切のものといえども、これを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、あるいは戦没者自信の立場において考えても、かかる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。





→「靖国神社廃止の議」は含まれていませんが、「大日本主義の幻想」など重要論文が所収されています。
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一部引用・TB致しました。
私のエントリーの中でこの記事を一部引用・TB致しました。私の記述に問題があ留などの場合はご連絡下さい。
2005/04/27(水) 13:53:56 | URL | FRANK LLOYD #-[ 編集]
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私個人としては、靖国神社というのは天皇家の管轄する神社でもなし、西南の役の戦没者を慰霊する施設からはじまったのですから、ことさら第2次世界大戦に結びつける気はありません。アメリカ人もイギリス人もオランダ人も祭られています。中国人もロシア人も朝鮮人同じく。
2005/04/27(水) 13:51:48 | Letter from Ceylon (Politics/Economy)
小泉首相の国会での「靖国神社参拝」答弁が国内外の批判や議論を巻き起こしていますが、私もそれに関して触れたことがあります。その時は対外的な意味での国益を考慮していないという意味で小泉答弁を批判したのですが、靖国問題に触れる際にはそもそもの「靖国神社論」は不
2005/05/19(木) 12:00:27 | だんなの屋根裏部屋
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